レイダース

「失われたアーク」の真実
 





「すまん、Jr。俺がどじらなければ……」
「いや、お前のせいじゃないさ、マリオ。お前のな……」

 私の名はヘンリー・ジョーンズJr。アメリカの考古学者にしてオカルト研究の第一人者。
 今回は陸軍情報局の依頼で、ナチスが探している「失われたアーク(十戒の石板)」の入った柩を調査していた。
 今、私と背あわせに縛られている、わが恩師レインウッド教授の子息マリオとともにナチスの追跡をかわしながら、苦労してついに見つけ出したアークの柩だったが、結局それはナチスの手に落ちてしまった。
 それを取り返そうとして、私たちは柩が積み込まれた彼らのUボートを追跡し、この秘密基地に潜入した……まではよかったのだが、マリオが兵士たちに見つかり、そして、それを助けようとした私も捕まってしまったのだ。



「……どうしたねジョーンズ博士。これから世紀の謎が明かされようとしているのだよ。その場に立ち会える幸運を君たちは体験できるのだ。考古学者としてはこれ以上の幸せはないだろう?」
「ベロック、お前はまだこれを神との通信機だと思っているのか!? これはそんなものじゃない。これはきっと――」
「まだそんなことを言っているのかね、ジョーンズ博士。……わたしはこれを使って神と対話できる唯一の人間になるのだよ」

 言い合いを続ける私とベロックの間に、ナチスの将校が割り込んできた。

「ベロック教授、なぜそんな格好をしなくてはいけないんだ? 恥ずべき種族の格好などっ」
「これは彼らの神のものなのだよ。彼らの司祭の格好をするのは当たり前だろう! ……さあ、ここからは私の領分だ。黙っていてもらおう」
「総統のご意思にそえる結果が出ればな……」

 ユダヤの民の司教の衣装を身に纏ったベロックを茶化していたナチスの将校は、彼の迫力に押されて、数歩あとずさった。

「……結果が出ればいいのだ……結果が出れば」

 そいつは負け惜しみのように、そうつぶやいた。



 元は火山島だったのだろう。今は休火山となった島の内部に出来た広大な空洞の中央部に、岩盤を削って祭壇が作られていた。
 その祭壇に石の柩が置かれていた。それが私たちが捜し求めていた、アークの柩だ。
 金銀財宝で飾られたものであろうと思われていたそれは、質素な石の柩でしかなかった。
 だが、その石の柩の蓋にはこう書かれていた。

『決してこの封印を解くことなかれ! 悩みを語ることなかれ! そのモノを見ることなかれ! 望みは叶うであろう。その――』

 そこから先は、風化して読めなかった。その部分に何が書かれていたのか、今では知ることは出来ないが……私は何かいやな予感がした。
 だが、祭壇の向かい側の小高い岩盤に打ち付けられた太い柱に背中合わせに縛られて身動きの取れない今の私たちには、どうすることも出来なかった。
 ベロックとナチスどもが行う式典を、おとなしく見守るしかないのだ。何事も起こらなければいいのだが……



 ベロックは柩の前に進み出た。
 それをサポートするかのように、左右にナチスの将校と、私たちをずっと苦しめてきた怒り肩で黒ずくめの工作員が立っている。そいつは暑いのか黒のソフト帽を脱いで、禿げ上がった頭の汗を黒のハンカチで拭いていた。
 さらにその後ろには、照明や、この儀式の記録を撮影しているナチスの従軍撮影スタッフ、この場を警備するナチスの兵士たちが3〜40人ほどいた。

「エルサマンダデリョシャ 我は悩めり。我は悔やめり。我が悩み聞き届けたまえ エルサマンダデリョシャ……」

 ベロックが呪文を唱え終わると、いつの間にか石の柩の左右に立っていた四人のナチス兵士が、彼の合図とともに石の蓋を持ち上げた。
 蓋が開くと、中から何か甘ったるい香りが空洞の中に漂った。
 私はその香りに嫌なものを感じた。邪悪……というよりも、むしろ “無理やり押し付けられた「善意」” とでもいう、最悪のものを――



 ベロックとナチスの将校と工作員が、柩の中を覗き込んだ。そして驚嘆の声を上げた。

「なんだこれは? ベロック教授、アークとは揺り篭のことなのかね?」

 ナチスの将校は落胆し、そして柩の前に跪くベロックを嘲った。
 工作員は、ふんと鼻を鳴らした。彼らにとっては命をかけ見つけ出した宝物が、思っていたようなものでなかったことに腹が立ったのだろう。
 連中は、ベロックをさげすむような目で睨んだ。

「…………こんなばかな……何でこんな小娘が柩の中で眠っているのだ? いったいいつこの子が……ん? これはなんだ?」

 ベロックは、柩の中から色あせた一枚の板を取り出した。

「ましろ……き、か、よ……ん?」

 落胆したかのようなその力ない声は、私のところまでは届かなかった。

「……ベロックは何をつぶやいているんだ?」

 私は思わず小声で問いかけた。

「ましろ……か……よ? とか言ってる……」

 私と背中合わせに縛られたマリオが、自信なさそうに答えた。

「ましろ、かよ? マシロカヨ……アークに封じられた、マシロ……カヨ? まっしろ……かよ…………まっしろな……か、よ、ん……」

 私は以前読んだ子文書のことを思い出していた。
 それは、イスラエムから発見されたもので、モーゼに仕えていたヨハネの子孫の書いたものと言われていた。だが、その内容の荒唐無稽さに、ただの昔語りの物語を記したものと言われていた。その中に、確かにその名前があった。

 『真っ白なカヨン』……

「君、起きなさい! 君!」

 ベロックは、柩の中で気持ちよさそうに眠る少女を揺り動かした。

「これが神との通信機ですか? すると差し詰めこの娘は天使なのかな? わはは……」

 ナチスの将校はベロックを馬鹿にした。
 少女を起こそうとしているベロックを尻目に私たちのほうを見据えると、黒尽くめの工作員に目配せをした。

「……さて、ジョーンズ博士。本物のアークの在りかをお聞かせ願おうか!」

 将校と工作員は冷たい笑顔を浮かべ、祭壇から降りて私たちのほうに近づいてきた。
 ……と、その時、柩から幼い少女の真っ直ぐに伸ばした手が見えた。

「あれ? ここは? ……あ、まだお仕事の途中だった。え〜と――」

 幼い女の子の声が柩から聞こえた。私は、自分の直感を信じて叫んだ。

「目をつぶれっ! そして何も聞かず、何も考えるなっ! 恐ろしいことが起きるぞっ!!」

 私が叫ぶのと同時に、少女が何かを唱えた。


取り取り、付け付け、ミラクルパワーっ!! パワーアッ〜〜プっ!!




 目をきつく閉じ、心を無にした私は、この空洞の中を暖かく甘い香りのする風が吹き荒れるのを感じた……

「うわああああぁ〜〜〜ぁ〜〜〜〜っ!!」

「ぎゃああああぁ〜〜ぁ〜〜〜っ!!」

「た・・・たすけてええええ〜〜〜ぇ〜〜〜っ!!」

 あちらこちらで兵士たちの悲鳴が上がり、その声は途中で突然トーンが高くなった。それはまるで、若い女の声のようだった……




















「……さて、お仕事終わり。じゃあね♪」

 幼い少女の声と、あたりにあふれる若い女の嗚咽のような泣き声に、私は目を開けて……驚愕した。
 さっきまでいたナチス兵士の姿は一人もなく、まわりでは代わりにだぶだぶの軍服を着た若い女たちが、自分の身体を触りながら泣き喚いていたのである。

「こ、これはいったい……?」
「……みんな女になってしまったの。そしてわたしも、あなたの忠告を聞かなかったばかりに……」

 背中越しに若い女の声がした。
 無理やり首を曲げて見てみると、そこにはマリオではなく、彼に似た長い髪をした女性がいた。

「君は……?」
「マリオよ。あの光と風を浴びて女になってしまったの」
「女に? じゃあ、私も――」
「いいえ、あなたはたくましくりりしいあなたのままよ。……わたしはつい好奇心から目を開けてしまって」
「振り返りしロトの妻は塩の柱に……」

 私は旧約聖書の創世記にある、『ソドムとゴモラ』の一節をつぶやいた。



 それから私たちは、縛られていたロープをなんとか解き、自分の身体の変化に呆然となっている兵士たちを一箇所に集めて軟禁すると、アメリカ海軍に連絡を取って救出された。
 柩の中の少女のパワーは島全体に及んだようで、島にいた連中はすべて女性と化していた。
 女性化を免れたのは、どうやら私一人のようだ。



 その後アメリカに戻った私たちは、陸軍に状況を報告し、学術研究のためにアークの返還を求めたのだが……それらは最高機密として、闇から闇に葬られた。



「どうしたのヘンリー? 元気がないわね」
「いや……あの少女のことが気になってね」
「あの子、いったいなんだったのかしら?」
「……ヨハネ五世によれば、天使なのだそうだ」
「天使? そうね。わたしとあなたを結び付けてくれたんですもの。たしかにキューピットね」

 最近、女性化がさらに進んで、より女らしくなったマリオは、「マリオン」と名前を変え、いつの間にか戸籍も女性へと変更していた。

「おいおい……君は元男だろう?」
「ええ。でも、あなたは知らないでしょうが、あなたがお父様のところで学んでいたころから好きだったのよ。ヘンリーおにいちゃん」
「え? そうか?」

 私は驚きとともに、魅力的な女性になったマリオ……いや、マリオンを見た。
 私は被っていた帽子を被りなおすと、ちょっと身体を横向けて、左手を腰に当てた。
 マリオンはそのしぐさの意味がわからないようだった。私は輪になった腕のひじを、彼女のほうにちょっと動かした。

「あら……? ウフッ」

 彼女はすこし照れた私の顔を見て微笑むと、私の左腕に手を通して、身体を寄せてきた。
 私は彼女の温かさと甘い香りを感じながら、街へと歩き出した。



 数ヵ月後、私たちは結婚した。結ばれるはずのなかった二人だが、今は幸せだ。教会の扉をマリオンと二人で出たとき、私は思った。
 あの子はマリオンが言う様に天使だったのだろう……と。
 そして、二度と会うことはないだろうとも。




















「今回のお仕事、ちょっと力を使いすぎたみたい。途中で寝てしまうなんて天使失格ね。それにこのパピルス、ぼろぼろになっちゃった。新しいのを作らなくちゃ。もっとわかりやすいのがいいな……
 『あなたの身体と心の悩みお受けいたします。 真白 カヨ』 ……なんてどうかしら?」

 白いドレスを着たおかっぱ頭の少女が、日本行きの客船のデッキから、離れていくサンフランシスコの港を見つめながらつぶやいていた。




















 その姿を物陰から見つめる影があった。

「あいつのおかげでこんな姿にされてしまった。……おかげで、もう帝国に戻ることも叶わない」

 黒いドレスを着たその少女は、被っていた黒い帽子をぬぐと、広いおでこの汗を黒のハンカチで押さえた。

「……見てろ、いまにワシの恐ろしさを思い知らせてやる…………」

 そして、冷たい微笑を浮かべる。
 まるで、あのナチスの黒づくめの工作員のように……